耳鳴りについて

耳鳴り=病気ではなく、耳鳴=生理的身体感覚のひとつ
耳鳴りがあることは病気。まず、この大きな誤解を解かねばなりません。私自身は、これまで多くの耳鳴を経験してきましたし、現在も経験しています。しかし、それを病気だとは考えていません。
ちょうど皆さんが、今日は肩が凝っているとか、食欲がないといった、様々な生理的なからだの感覚を感じているように、耳鳴は、単なるからだの現状を示す生理的感覚の一つなのです。
もちろん、肩こりや⾷欲低下も、時には何らかの病気の初期症状であったりするように、⽿鳴もそうした場合もあるのは事実です。でも、ほとんどの⽿鳴りは病気ではないのです。とはいえ、自己診断は禁物です。聴⼒検査を経て、難聴の有無と程度の確認といった正確な診断が必要です。実際、耳鳴を主訴に来院された患者さんの中に、他院では異常なしといわれた方でも、多くの耳管開放症の患者さんが発見されています。
耳鳴りが起こる仕組み
身体の感覚と精神(こころ)の感覚

- こころの感覚(聴覚・味覚・嗅覚・視覚)
- からだの感覚(触覚・痛覚・皮膚感覚・平衡感覚・運動の感覚・生きているという体の実感)
図に示すように、耳鳴りは、心と体の広い領域に関連して体験されます。身体の存在感に実感があるように、私たちの精神(思考)活動や、知覚活動にもはっきりとした存在感があります。ここでは、思考活動も知覚活動も脳神経系によって機能しているとします。
耳鳴りを実感するのは「脳」

この脳の活動を、私たちはいわば自身のこころの領域として自覚しています。その中に、重なり込むようにして知覚の領域が存在します。さらに知覚領域の中で聴覚の領域が存在し、”聞いている”という実感が体験されます。ただし、実際には、すべての領域が一体となっているのが、日常の人間の実感です。
「耳鳴りはどこで鳴るの?」という質問の答えは「脳で鳴る」となります。
耳鳴りは心と体の両方が関連

耳鳴りが辛く体験される時には、心と体の両方に関連して体験されます。
耳鳴りを自覚する仕組み

聴覚を映像とスクリーンの例えで理解してみます。すると、音の知覚でも映像で言うスクリーンがあります。いわば音のスクリーンです。いわゆるスクリーンは、白く、像を際立たせるように造られています。
同じように、本来は、音のスクリーンも、余計な音の鳴っていない、無音のスクリーンである必要があります。例えば、友人の声を聴いている時。友人の声は、画像の音の実像にあたります。そして、耳鳴りとして自覚されるのは、音のスクリーンの方ですね。