『グーチョキパー』第5弾
三分節は、身体のあちこちに繰り返し現れる
― 人体を「入れ子細工」のように見る ―
これまで、アントロポゾフィー医学の「三分節」を、
頭部―胸部―四肢・代謝
という三つの領域から見てきました。
頭部では「集まる」働きが強く、四肢では「広がる」働きが強い。その二つを胸部のリズムが結んでいる。
ただし前回お話ししたように、三分節は身体を三つの箱に分ける分類ではありません。
さらに面白いのは、この三つの原理が、身体全体に一度だけ現れるのではないということです。
身体をもう少し細かく見ていくと、同じような構造が、別のスケールでも繰り返し現れてきます。
いわば、
大きな三分節の中に、また小さな三分節がある。
ロシアのマトリョーシカや、入れ子細工のような身体です。
アントロポゾフィー医学では、全身を「神経感覚系―リズム系―四肢・代謝系」と見るだけでなく、個々の器官や器官系の中にも同じ三分節的な関係を見ようとします。たとえば以前の資料でも、全身の三分節に加えて、聴覚に関係する器官、さらに内耳そのものにも三分節を見る構成が示されています。
では、身体をもう一度眺めてみましょう。
頭部――「集める」にも、二つの方向がある
頭部では、神経感覚系の働きがもっとも強く現れます。
ここで大切なのは、
何を、どこから集めているのか
ということです。
一つは、身体の内側から集める働きです。
脳は神経系を介して、全身から絶えず情報を受け取っています。
身体の位置、筋肉や関節の状態、内臓の状態など、身体の各所から情報が中枢へ向かいます。
つまり、
全身 → 神経 → 脳
という、中心へ向かう流れがあります。
もう一つは、外の世界から集める働きです。
眼は光を受け取り、耳は音を受け取り、鼻は匂いを受け取ります。
こちらは、
外界 → 感覚器 → 私たち
という方向です。
神経系は身体の内側から、感覚器は身体の外側から。
方向は違っても、共通しているのは、
多くのものを受け取り、中心へ集約する
という働きです。
頭部に特徴的な「集まる」という原理が、すでに内界と外界の両方に向かって展開しているわけです。
胸部――心臓と肺、二つのリズム
次に胸部です。
胸部の代表的な器官は、心臓と肺です。
心臓には、
中心と末梢を往復するリズム
があります。
血液は心臓から全身へ送り出され、
そして再び末梢から心臓へ戻ってきます。
心臓 → 全身 → 心臓 → 全身……
という循環です。
一方、肺では、
身体と外界の間のリズム
が生じています。
吸気では外界の空気が身体へ入り、
呼気では身体から外界へ戻ります。
外界 → 身体 → 外界 → 身体……
です。
心臓は、いわば身体内部の中心と周辺を結び、
肺は、身体と外界を結んでいます。
しかし、どちらも一方向には進みません。
行って、戻る。
広がって、戻る。
そしてまた始まる。
ここでは「集約」と「拡張」という二つの方向が、一方に固定されることなく、
往復運動=リズム
として現れています。
胸郭について、資料でも「広がる―戻る」という運動が繰り返され、「広がりながら戻り、戻りながらもう一度広がる」ことがリズムとして捉えられています。
四肢――自分から世界へ出ていく
今度は腕を伸ばしてみましょう。
手を伸ばす。
歩く。
物を持つ。
何かを作る。
人に触れる。
四肢では、身体の中心にあったものが、
自分 → 周囲の世界
へ広がっていきます。
四肢は、私たちが世界に働きかける場所です。
頭部では世界が「私の中へ」やってくる。
四肢では「私が世界へ」出ていく。
資料でも、この対極は、
頭部:周囲 → 中心
四肢:中心 → 周囲
として整理されています。
まさにパーの方向です。
🖐️
中心にあるものが、空間へ広がっていきます。
では「代謝」は、なぜ四肢と一緒なのでしょう?
「四肢・代謝系」という言葉を初めて聞くと、不思議に思うかもしれません。
腕や脚と、胃や腸が、なぜ同じグループなのでしょう。
ここにも「広げる」という共通した動きがあります。
まず食物は、口から消化管へ入ります。
ここで少し面白い考え方があります。
口から肛門まで続く消化管の内腔は、解剖学的には身体の中に見えますが、外界と連続した空間です。
食べ物は腸の中に入っただけでは、まだ完全に「身体の中に取り込まれた」とは言えません。
腸の壁を越えて吸収されて、初めて体内へ入ります。
そして吸収された栄養素は、
腸だけに留まりません。
血液やリンパを介して、
肝臓へ、
筋肉へ、
脳へ、
皮膚へ、
全身へ配られていきます。
つまり代謝には、
外界から取り込んだものを、自分の身体の隅々へ広げていく
という働きがあります。
四肢が、
自分の働きを外の世界へ広げる
のに対して、
代謝器官は、
取り込んだものを身体の世界へ広げる。
方向は少し違いますが、どちらにも「拡張」「変化」「働きかけ」という共通した性格を見ることができます。
「外」と「内」が、何度も入れ替わる
こうして見ると、人間の身体は単純ではありません。
頭部では、
身体内部から脳へ集める。
外界から感覚器へ集める。
胸部では、
末梢と心臓を往復する。
外界と肺を往復する。
四肢・代謝では、
四肢によって自分から外界へ働きかける。
腸から取り込んだものを身体の内部へ広げる。
「内」と「外」、「中心」と「周囲」が、場所を変えながら繰り返し現れています。
ここが、三分節を単なる身体区分として理解すると見えにくくなるところです。
大きなグーチョキパーの中に、小さなグーチョキパーがある
グーチョキパーに戻って考えてみましょう。
✊ 集まる
✌️ 二つの方向を結ぶ
🖐️ 広がる
身体全体にも、この三つがあります。
しかし、
頭はグーだけ、胸はチョキだけ、手足はパーだけ
というわけではありません。
頭部の中にも、集約と拡張と、それを結ぶ働きがあります。
胸部にもあります。
四肢や代謝器官にもあります。
そして器官をさらに細かく見れば、その中にもまた同じような関係を見つけることができます。
つまり、
大きなグーチョキパーの中に、小さなグーチョキパーがある。
その中にも、またグーチョキパーがある。
そんなイメージです。
これは「人体は本当に三つずつに分割できる」という意味ではありません。
むしろ、
集まる―めぐる―広がる
という三つの動きが、スケールを変えながら身体の中で何度も現れている、と眺める方法です。
人体は「部品の集合」だけではない
現代医学では、身体を細かく分けて調べることで、多くのことが分かってきました。
脳、神経、肺、心臓、腸、筋肉。
この分析的な見方は、医学に不可欠です。
一方で、身体をどんどん細かく分けていくと、
「なぜこれらが一つの人間としてまとまっているのか」
が見えにくくなることもあります。
三分節の面白さは、身体を分類することではありません。
むしろ、
同じ原理が、形を変えながら全身に繰り返し現れている
ことに目を向けるところにあります。
頭の中にも全身があり、
胸の中にも全身があり、
手足やお腹の中にも、また全身があります。
身体は、同じ設計図を単純にコピーした機械ではありません。
一つのテーマを、場所ごとに少しずつ変奏しながら繰り返している。
音楽に少し似ています。
そして、その「変奏されながら繰り返される三つの動き」を、私はこれからもグーチョキパーを手がかりに、少しずつ紹介していきたいと思います。





